04. 洗足池公園
晴れた日は、
ときどきお散歩に出かけたくなる
癒しの場所です。
洗足池公園。
大きな池の周りをトコトコ歩く。それだけ。
気持ちのリフレッシュにぜひ。
湧水池で川が流れ込んでいないのに、
付近には湧水が多くあって水量は豊富だったそうです。
洗足池はそれをせき止めた池で、
灌漑用水として利用されたとのこと。
主要水源は4か所あったともされてますが、
現在は清水窪弁財天の湧水が残っています。
↓ここは公園内にある洗足池辨財天。ご由緒も合わせて。
ちなみに。。。
池を出た水は呑川と合流して
東京湾に流れているそうですよ。
小ネタをもう少し。
もともとはこの地域「千束」という地名でした。
身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中、
日蓮上人がこの場所に休息のために立ち寄って
「池で足を洗った」という言い伝えから
一部が「洗足」という地名になったらしいです。
もともとの「千束」にはこんな説も。。。
この地域の古い地名は「千束」(せんぞく)であって、その名は平安時代末期の文献にも見られる。 由来としては仏教用語の千僧供料(せんそうくりょう)の寺領の免田であって、千束の稲が貢租(税)から免除されていたとする説や、「大池」(洗足池の別称)を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられていたとする説などがある。
このネタ元はWikipediaです。
公園を出て少し歩きますと、
洗足池のほとりに御松庵妙福寺があります。
ちょっとした竹藪を抜けると
日蓮上人の「袈裟掛け松」がお目見え。
先程の小ネタに由来しているようです。
合わせて足を運んでみては?
なんだか盛りだくさんですが。。
公園内には他にも有名どころのスポットがちらほら。
勝海舟のお墓です。
こんな由来みたいです。
江戸総攻撃、そして無血開城の直談判をするため、官軍(薩摩)の本陣をおいた池上本門寺に向かう途中(帰りという説もあるようですが)、洗足池のほとりの茶屋で休息をしたらしく、この風光明媚な景色を愛し、晩年ここに別宅(別邸千束軒)をたて度々訪れていたようです。(千束軒は戦災で焼失してしまい、現在は大森六中が建っているとのこと)
そして自身の遺言により、愛したこの地に妻と一緒に眠っているそうです。
ただ当初は勝海舟だけの墓所でした。もともと妻の民子は遺言で「勝のそばに埋めてくださるな」と言い残したとのことで。
勝海舟の浮気癖には愛想をつかしていたのではないでしょうか。。。だそうです。
また、千束軒には西郷隆盛が度々訪れていたようで
そこで日本の未来について語ったともいわれています。
すぐそばにはコチラがありました。
「西郷隆盛の留魂祠」
1877年(明治10年)の西南戦争で、
自らが創った明治新政府によって滅ぼされた
西郷隆盛の菩提を弔うために
勝海舟が建立したものだそうです。
リフレッシュしながらも
いろいろと遭遇できるお散歩コースです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません